食べたくなかったワカサギ

新型コロナウイルスが日本に東日本大震災の時のような閉塞感をもたらしていると聞いた。

 

わたしは、今、日本から9,000km以上離れたヨーロッパにいる。このブログは、マドリード空港の搭乗ゲート前の左から3番目のベンチで、飛行機の遅延で持て余した1時間ほどのうちに書いている。2月中旬から卒業旅行でヨーロッパに来ていて、自分自身の卒業確定は友人からの連絡で、こちらにいながら知ることになった。そういえば、今年度の授業で、翻訳プログラムという副専攻を履修していた。翻訳プログラムでは、1年間に3つの必修授業を取る必要がある。その中の一つに、異色の授業があった。元朝日新聞記者の方が講師で、日本語での文章の書き方を教えるものである。翻訳プログラムの他の授業では、英語から日本語、日本語か英語の翻訳の理論を学んだり、演習する。しかし、「文章講座Ⅱ」と称したこの授業だけは、英語への翻訳は行わなかった。

 

わたしはこの授業で、東日本大震災が起こった9年前から書きたかった体験を、文章に起こすことに成功した。全部で9回の修正稿を先生に提出している。ここには、最終稿を載せる。

 

放射能の問題というのは、今でも関係する人々にとってはセンシティブな問題であることは認識している。文章の内容、そもそも文章のリリースについて、間違いなく賛否両論あるだろう。しかし、新型コロナウイルス という未知の脅威に踊らされている、当たり前の日常を奪われつつあるという点で、あの時-東日本大震災の時と同じなのだ。だからこそ、わたしがこの9年温めてきた体験と、昨年やっとできた文章をリリースしたいと思う。

 

落ち着いて、行動しよう。

日常は必ず戻ってくるはずだから。

 

以下最終稿↓

 

食べたくなかったワカサギ(最終稿)

 東日本大震災が起きた2011年、私は中学1年生だった。私が住 んでいたのは、震災の影響で爆発した福島第一原発から100km 圏内に位置する村だ。翌年の初夏、村から子どもに、体温計の背丈 が縮まってちょっと太ったような、手のひらに収まるほどの小さい 白い機械が配布された。「え、いつも俺2マイクロシーベルトなの に、今日3マイクロシーベルトなんだけど」。体育館から戻ると、 クラスで2番目に背が高いリョウ君がその機械を見て言った。その 機械は線量計といって、通常は1や2といった数値を表示するが、 3以上を表示する時があるのだ。中央の四角い画面には放射線量を 示す数値が常に示されていた。

 3マイクロシーベルトが表示されたリョウくんは線量計を見つめて いた。「リョウくん茂みの中に入っていったからでしょ」と、リョ ウくんの正面からアヤカちゃんがすかさず指摘し、アヤカちゃんの 隣にいたコウちゃんがゲラゲラ笑う。私は、廊下側にあるロッカー の近くから、リョウくんたちが話すのをじっと見ていた。いつもな ら彼らの輪の中に入るが、その日はそんなに明るい気持ちにはなれ なかった。茂みに入っていないのに、私の線量計も3マイクロシー ベルトあったから。

 私は、日課にしていた新聞チェックで〈福島県内の各市町村の放射 線量〉の面を左上から右下まで確認するようになった。新聞に載る 各市町村の線量は、観測地点で計ったものだけだ。メディアには出 ないが、局所的に放射線量が高い場所が存在し、そういう場所をホ ットスポットという。当時、村一番のホットスポットだと言われて いたのが村にあった湖だった。私が住んでいたのは、 その湖の北岸のエリアで、冬になるとワカサギ釣りで賑わう。

 あの日は、その年で初めてワカサギの天ぷらが並んだ。家庭の事情 で、私と妹は父の実家で伯父夫婦と暮らしていた。うちでは、 伯母の元気な掛け声が、晩御飯の合図。すぐとんで行って、 箸と皿の準備をする。そのうちにみんな揃って、食べ始める。

 「なあ(ねえ)、今年は、まだ凍んねんだと(凍ってないんだって )」伯母がいう。近年、温暖化の影響なのか、冬になってもなかな か湖面が凍らないのだ。「へぇー、確かに、バスから見ててもまだ 全然凍ってないと思った」ご飯に集中している妹の代わりに、 私が答える。伯父は、黙って淡々とワカサギを頬張っている。目の 前に置かれた大きな皿から、天ぷらになった数百のワカサギの、小 さな小さな目が私を見ていた。「トモカも食え(食べなさい)。早 く食わねと(食べないと)冷めちまぞ(冷めちゃうよ)」と、伯母 はワカサギの天ぷらが乗った大きな皿を近づけてくる。伯母はおお らかな人で、他の家庭の倍の量を調理して、熱心に勧めてくるよう な人だ。いつもなら、しぶしぶ受け取るかのようなそぶりを見せた りして、よろこんで皿を受け取る。

 しかし、この日は違った。ワカサギの天ぷらは、揚げたてが一番美 味しいことはわかっていた。衣はカリッとしていて、身は淡白。私 が一番好きなのは内臓の苦味だ。あとから知ったことだが、内臓は 放射能が溜まりやすいから除去したほうがいいという見解もある。 私がワカサギの天ぷらに箸をつけないのは、考えがあったからだ。

「やだ。私は食べない」ときっぱり言うと、「え?」と伯母は悲し みと怒りの混ざったような表情を浮かべた。「ワカサギは放射能が 高いって、新聞で読んだ」と私は言い切った。新聞にあるベクレル やマイクロシーベルトという単位の意味はわからないが、 自分の身は自分で守りたいと思っていた。

 「ほだごとねえべ(そんなことないよ)」目の色を変える伯母。む きになっていた。「いいの。食べないって言ってるじゃん。ママと ジーはいいかもしれないけど!」私より先が長くないだろうから、 汚染された食べ物を食べてもいいという意味だ。「大丈夫って、国 で発表してるべした」伯母が言い返してきた。伯父は、潤んだ目で 何か言いたげにしている。

 「ごちそうさま。美味しかった」箸をパッと置いて、食卓のある台 所を飛び出した。でも、これ以上、何を言われても、ちょっとだっ てかじるつもりがない。普段は寝る時にしか使わない自室へ、 階段を駆け上がった。冬の冷え込んだ部屋の中で、目に見えない毒 のことを考えて怖くなった。ワカサギの内臓の苦味がギギギと舌に 蘇ってきた。
 あれから、ワカサギが食卓に並ぶことはなくなった。それどころか 、水道水の代わりに、ミネラルウォーターを飲むように言われた。 そして2019年現在、海水魚に比べて、淡水魚であるワカサギは セシウム濃度が下げ止まりであるという。苦々しいものは、 いつになったら消えてくれるのだろうか。あるいは、 消えないのだろうか。

 線量計をつけさせられ、放射能汚染を日々意識しなければならなか ったこと、ワカサギを食べることが難しくなってしまったことを通 して、日常の行動を管理され、 抑制されることのつらさを思い知った。そういう管理と抑制をされ た日々の、やるせない思いは今も忘れることができない。

いとおしい糸 ふたたび京都へ

今回の京都への旅のメインイベントは...

「アルスシムラ1日体験 染めと機織りのワークショップ」でした。

 

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 (Instagram掲載写真に同じ)

 

わたしのSNSを見てくださっている方ならご存知の方も多いとは思いますが、8月1日〜8月2日で京都に行っていました。実は、上記のイベントに参加するためだったのです。

ゼミの先生がたびたび志村ふくみさんのことを話すのを聞いて興味を持ち、自分の目と耳と鼻とぜんぶぜんぶで、志村ふくみさんの色を見てきたいと思って参加しました。

 

2017年に一念発起し、京都を訪れて以来でしたので、二度目の京都でした。

 

the45zasshi.hatenadiary.com

 

いったん話が逸れましたが、そもそも、アルスシムラとは?

以下に説明に足りうる文章を引用します。

志村ふくみ・志村洋子が創造した染織の世界を、芸術体験を通して学ぶ場としてアルスシムラは設立されました。授業では、草木で染めて、機で織り、作品を制作していきます。手仕事を通してものに触れ、しむらの染織の技と精神を学びます。

(アルスシムラ公式ホームページより)

志村ふくみさんは、草木染めの糸を使用した紬織で人間国宝として知られています。 

志村洋子さんは、志村ふくみさんの娘で、お母様とおなじく染織家の方です。

 

そして、アルスシムラの学校は、京都は嵯峨野にあります。

(ここで余談ですが、前泊は花園駅の目の前のホステルで、アルスシムラの最寄りの嵯峨嵐山駅までは近かったです。ただ…駅から徒歩25分と遠く、東京より暑かったのでレンタサイクルを借りて、アトリエへの行き帰りで「寺タイムアタック」などと称した、ひたすらに時間のなさと戦うような情緒のない寺巡りもしました…これそのまま話したら、アトリエの先生方にも笑われちゃいました(笑))

 

さて、ワークショップ内容は、午前中に植物の色で絹糸を染めて、お昼ご飯を食べる間にゆっくり自然風で乾かして、午後になったら糸を巻き取って、染めた黄色を使いつつ用意された好きな色の糸を機で織るというものでした。順に書いていきますね。

 

まずは染め。キッチンに移動して、黄色いお湯の入った鍋を一同で囲み、先生が微笑みながら「なんの植物でしょうか」というので、顔を近づけて香りから予想しようとしました。誰かが威勢よく言ったのが大当たりで、それは「クチナシ」でした。

 

窓から入る京の風。それはきっと今日も明日も少しずつかたちを変えながら吹く風。

ちょうどいい温度の鍋の中。気持ち良さそうに泳ぐ糸。

火をつけて人間が熱さに少しだけ耐えて糸をあそばせる温度の鍋の中。まるで、ここ一番を悟ってグッと集中したかのように色がギュッと入る糸。

3回、植物を煮出したお湯の中に入ったら染めは終わり。

 

午前中、ふと絹糸に関心が出てきてしまったわたしは先生に「この糸はどこから来るんですか?」と聞きました。そうしたら、群馬県の碓氷製糸と教えていただきました。

先生にお礼を言った後、グーグルで調べてみてわかったのは、群馬県の碓氷製糸株式会社というのは、現在、日本最大の製糸工場なのだそうです。2014年、世界遺産に「富岡製糸場と絹産業遺産群」として認定された富岡製糸場は操業停止していますよね。担い手の方は今どんな思いで絹糸を繰っているのでしょうか。新たな関心が芽生えました。

 

糸が乾くまでの時間は、お昼ご飯。事前のメールに、「近くにお店がないのでお昼に食べるものを準備してください」と書かれていたのに、嵯峨嵐山駅に着くまでお昼ご飯の調達をしていなかったわたし。川端康成司馬遼太郎の作品にも登場する(これは後で知った)嵯峨森嘉豆腐で、あつあげ2つと飛龍頭(ひろうす)1つを調達。買うときに印象的だったことが2つ。1つめは、恐る恐る発したわたしの飛龍頭のイントネーションが現地のそれと違ったこと。仕方ないんですけどね。2つめは、(会話を詳細には覚えてないけど)買った豆腐を入れる器を持ってALWAYS三丁目の夕陽みたいに昔ながらの豆腐の注文をしていたこと。ゴミを減らす工夫が根付いているんだと思いました。ふと側に目をやると、「ゴミのない綺麗な京都へ」(ニュアンス)といった標語が書かれたゴミ箱が設置されていました。間違っても、東京でよく見るような飲みかけのタピオカはなかったです。というか、タピオカ屋さんを見かけなかったかなー。はい、話を戻すと、豆腐類3つと友達からもらったケーキもあるから、それでおなかいっぱいだろうと急に安心できました。

案の定、おなかは満たされました。京都のお豆腐、本当に美味しいです。よかった、よかった。

 

午後は、糸巻き取って(「小管巻き」といいます)、自分たちで染めたクチナシの黄色の糸を使いつつ、用意された好きな色の糸を機で織る。

「五光(別名ふわり)」を使って糸を巻き取ります。ここで驚いたのは、絹糸の丈夫さです。上手く五光を使いこなせなくて強く糸を引っ張ってしまうときも、プツンと切れてしまうことがありませんでした。

そして、機織りをしました。「あゝ野麦峠」の女工さんたちはこうやってお仕事をしていたのだろうかと考えていました。今の自分みたいに楽しんでやる分にはいいけれど、薄給で雇われてこき使われ、それでも家族のためにと頑張らなくてはいけないのはどれだけ苦しかっただろうとも思いました。母方の実家は旅館を経営しながら蚕を育てていたと聞いているので、織機は祖母や母の生活の近くにあるものだったろうとも思っていました。

 

いろいろな思索に耽りつつも、集中してしまうと没頭してしまうわたしです。

色を変えるときに、一回糸を切る必要がありました。色を変えるとき以外にも、何回かに一度糸が絡まったから糸を切ってしまうことがありました。

 

ワークショップ終了の時間が近づいてきたので、と先生に言われてハッと覚めるわたし。わたしの織機の横には、2,3本の糸くずがありました。間違いなくわたしが使った色には違いありません。こういう時は、迷いもなく糸くずを捨ててきました。

 

でも、この時はキュッと胸が締め付けられるような気持ちになりました。だって、染めていっしょにあそんで織った、わたしの愛おしい糸。先生方から「糸を捨ててはいけません」なんてひとことも言われていないのに、捨てることは罪深いと思えて苦しかったのです。

 

結局、何にも入っていない黒いゴミ箱の底に丁寧に置くようにして捨ててしまったのだけれど。

 

この気持ちを、ワークショップ全体を通しての感想を言う場面があったので、参加者と先生方の前でだいじにだいじにお伝えしました。そうしたら、予科(アルスシムラに通って教えてもらう)に通ってらっしゃった人が声を出して納得してくれたんです。

そして、先生方はわたしの言うことを聞いて、実際にアトリエでは糸を捨てずに集めておく箱があるのだと教えてくださいました。

 

それでは、いとおしい、わたしの糸。

ようやく、見せる時が来たから。

みてください。

 

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 (Instagram掲載写真に同じ)

 

とてもかわいいでしょう?このテキスタイルはわたしが織ったもので、桃をイメージしています。桃は、ふるさと福島県の特産品なので。桃、なんとなく、わかりますか?

あえて言葉で説明するなら、上段の黄色いグラデーションが桃の瑞々しい果肉。

中段は、キリッとした異国風で絵巻物にも描かれていそうな色の桃の葉っぱ。

それから、下段はつやつやとしていてわたしたちを魅了する桃の皮。それでいながら、やさしさのベールで果肉をふうわり包んでいるんです。

 

最初から、桃をモチーフに織ろうと思っていたわけではありません。

自分たちで染めたクチナシの2種類の黄色しか織り込んでいなかったところに、先生に教えを乞いましたら美しい景色などのイメージを作ってみたらと言っていただいたので、桃というイメージで織っていくことに決めました。それからは、織りがスイスイ進んだ気がします。

 

壮大すぎるかもしれないけれど、まるで、人生みたいだなと思いました。

人生。どんなふうになっていきたくて、次はどうしていくか定まっていないと進んでいくことは難しいですよね。方針が決まっていないとなかなか進路が決められない。

 

2016年10月21日に公開されている、ほぼ日刊イトイ新聞のインタビュー記事『あたらしい道をつくる仕事。志村洋子さん+志村昌司さん[5]atlier shimuraがはじまる。』で、志村昌司さんが次のように話しています。

経糸(たていと)が運命、緯糸(よこいと)が生き方、
今の自分っていうふうに、
これは志村ふくみの言葉ですけれど、
それを思うと。
‥‥張られた経糸は、
一度張っちゃったら張り直しができないんです。

 わたしは今回、緯糸しか織っていないのでちょっと言っている対象が違うということになりますが、人生は張り直しができない糸を、自分の意思で責任を持って紡いでいくこと…

わたしが言語化しきれないことを、より多くの学びを以て教えていただきました。

 

そういえば、すごく久しぶりのブログ更新となりました。

更新を待っていてくれたお友達、みていますか。楽しみにしているんだといつも伝えてくれて、素直に喜ぶことができていないわたしだけど、本当にありがとう。

 

昔のブログをちょっと見てから書きましたが、感性も言葉遣いもなんか少しだけ大人になった気がします。どうですか?客観的に見て、みなさんもそのように思いますか?

 

しばらく更新していないと、次に書くのは心が震えて震えて仕方なかった時なんだと、どうしても書き渋りがちになりますね。今回は、昨日の素晴らしい体験をまだ記憶があざやかに残っているうちにどうしてもみなさんに伝えたいという気持ちで書きました。

 

こちらアルスシムラでのワークショップは、6月7日にマガジンハウスから発刊された『& Kyoto/ 暮らすように街を歩く、京都ガイド。』でも紹介されているそうです。とても人気で予約が取りづらいそうで、なんと今年の夏の分はもう予約がいっぱいだそうですが、長期休暇に開催していて春開催分もあるはずなのでぜひ行ってみてください。成城での開催もありますよ!

テレビに出るよ

って一部の友人に伝えたところ、

「ほんとさ、ざっしー何目指してんの(笑)」

「ざっしーはマルチだなぁ」

そして、母に言ったところ

「よく出るねえ」

という反応をいただき、なんかちょっとウケたので、今週の土曜日と日曜日にテレビ出ることについて思い切って前もってお知らせすることにしました。…いや何目指してるんだろう私。

 

今週の土曜日と日曜日の告知をする前に。

昨年夏に、ざっしーね、30秒くらいの尺で、Qさま!(2017/08/14放送)に出てました。

「東大生・京大生が選んだスゴイ女性リーダー ベスト10」https://youtu.be/VolVUHuufak

第10位に我らが津田梅子さんがランクインしています。(私的には津田梅子が第1位っすね)

玉川上水沿いにて取材され、ざっしーの津田塾愛は全国放送されました。

 

これに出ることはあまり周りに言わなかったので、「いきなりざっしーがテレビ出てきてびっくりしたよ!」とLINEがぱたぱたと来ました。

ありがとうございます。

 

そして、また、テレビに出ます!

 

繰り返しますが、今週の土曜日と日曜日です。

メモしてね📝録画予約して〜


5月26日(土)
NHK Eテレ
人生100年時代のジレンマ 大研究(仮)
0:00〜1:00
http://www4.nhk.or.jp/jirenma/

今や保険会社の広告などでよく見かけるようになった、「人生100年時代」というパワーワード。昨年の流行語大賞にも選ばれています。嘘のような本当の話。書店で、リンダ・グラットン著の『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』という本を見かけたことのある方も少なくないでしょう。この「人生100年時代」について、日本のミレニアル世代とリンダ・グラットンが議論するという番組内容です。

人生100年時代を生きる準備をしましょう!

ぜひ、ご家族そろって見てください!

 

そして、分厚いけど本も読んでみてください!

https://www.amazon.co.jp/LIFE-SHIFT-ライフ・シフト-リンダ-グラットン/dp/4492533877

 

5月27日(日)
テレビ朝日
ゆっくり行こうよ 路線バスで寄り道の旅 #1 15:20〜16:25

昨年津田塾に徳光さん御一行が来て、徳光さんが女子大生相手にニコニコしていたあの放送の再放送の最後の番外編(?)に、ざっしーが出ます。鷹の台駅前の「ドリヤン」にて🍰撮影しました。終始、ざっしーはサヴァラン(洋酒でヒタヒタのケーキ😍)の話しかしないです。

きっと面白いので見てください!

 

テレビに出てこうやってみんなを驚かせたり、

これからも楽しいことたくさんしたいと思ってるよ!このブログ共々これからもよろしくね〜

ほほえみをかわすということ

昨日、とてもふしぎなことがあった。

 

私は何かを残しておきたい時、とにかく文字に起こしたいタチなので、ここに記す。

(前記事が4,000〜5,000文字くらいなので今回のブログはまるで短詩のようにあっけなく終わるよ、チャンネルはそのままで、この先を読んで)

昨日も、いつもどおり通学の電車に乗っていた。いつもどおりのはずの日常に、へんてこなことが起こった。

 

私は小田急線で始発の新宿から座って帰る。

もともとの定期は新宿を経由しないのだが、

理由の一つとして、眠りたいがためにこのルートを採用している。

 

だから、電車では、①いつも寝ている。

寝ているのを見かけたら、そっとしといて。

 

それか、②課題をしている。

津田塾はその課題の多さで有名で、

計画性のないわたしはひいひい言っている。

 

昨日も、Kazuo IshiguroのThe Remains of the Day(ゼミの本)を読みつつ、睡魔とも闘っていた。

 

あ、しばしば、③人間観察もしている。

昨日は、前の座席に座っている、はっきりした目鼻立ちの、個性的なファッションをしたボブヘアの女性が気になっていた。

 

ここまでで、

決定的な瞬間について書く用意ができた。

 

私がThe Remains of the Dayを読んでいたつもりが、いつのまにか寝てしまっていて、何かの拍子で目が覚めたら0.0秒後にその女性と目が合った。

その女性は0.1秒後ににんまりと微笑んだ。

つられて、私もにんまりと微笑んだ。

その瞬間、この人は誰だったっけと会ったこともない人だと自明なのに、すごく懐かしい気持ちになったから「久しぶり」と言うかどうか逡巡した。

その女性の隣に座っていたでっぷりとした男性が、私とその女性を訝しげに交互に見やった。わたしとその女性の間に流れるものは、心地よいものであったが、隣に座って見ていた男性からしたら不気味なものであっただろう。

 

この体験が何を意味するかはまだわからない。

けれど、非常に興味深いので残しておく。

 

あの女性には、この先の人生でまた出会うような気がしている。

 

私の寝顔が面白くてたまらなかっただけかもしれないけれど。人生は、ドラマチックに仕立てておいたほうが楽しいだろう。

就活の軸は屋久杉

 

屋久島に呼ばれて、やさしく包まれた日々から、2ヶ月が経とうとしている。

 

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私は、大学3年生になった。

 

 

屋久島という非日常から帰ってきてまもなく、

「就活」という蠢めくような現実が迫ってきた。

 

最近、屋久島にいたという記憶は私の夢のなかの出来事だったんじゃないかなっていうくらい、東京からはあらゆる意味で遠い場所なのだと考えている。

 

小田急線の車窓に映る、物憂げな私の顔。

 

スマホを開けば、企業からのお祈りメール。

 

落ちにくい汚れが付いてしまった、お気に入りの白いスニーカー。

 

 

私は、また、自分を見失ってしまいそうだよ。

もっと自分のこと知りたいのに、マイペースな私を待つわけもなく、もうすぐ6月1日になる。

 

みんな、得体の知れないものにかき立てられるかのように焦っている。

 

こんな今だからこそ、私を素直にしてくれた屋久島の、ぼんやり淡くなってきて忘れてしまいそうになっている記憶を言葉として残したい。

私の言葉たちが、同じ時代に生きるみんなの勇気になればいいな。

 

 

 

 

 

 

私が屋久島に行こうと思ったのは、

偶然、そいちゃんのfacebookで、そいちゃんの友達が主催しているイベントのお知らせを見たから。「行かなきゃ!」って思ったの、その時。「今、行かなきゃ!」って。

 

でも、葛藤はあった。いろいろと。

 

結局、ありったけの金で、鹿児島の行きと帰りの飛行機のチケット取って、屋久島の行きと帰りのフェリーも取った。

 

鹿児島前泊。

トンカツと元祖しろくまとラーメン食べた。

どれも美味しかった。

 

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(セルフタイマーで撮った孤独なざっしーの図)

一人で見知らぬ土地を歩くのは大好きだ。

 

翌朝。屋久島行きのフェリーの出発間際、そいちゃんと会えた。そいちゃんをもっと知りたくて自然といろいろ深掘って聞いちゃった。そしたら、「ざっしーの質問いい!もっと聞いて!」って言ってくれたからびっくりしたけど嬉しかったな。

 

屋久島では365日のうち360日は雨が降る。

なのに、私たちがいた間はずっと晴れていた。

そんな奇跡の滞在記をあなたはこれから読むことになるのだ。

 

 

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(到着してすぐ、そいちゃんと撮った記念写真)

 

 

 

≪1日目≫

 

ガイドのヒロミの車に乗り込んで出発。ヒロミが、「屋久島の水を飲むことで、屋久島の森や動物と同じ水が体に流れるんだよ」(ニュアンス)と言ったので、私はこれから4日間屋久島の水(orあわよくば屋久島の酒)しか飲まんぞと心に誓ったのである。

他にもヒロミの話を引き出せて「いい話聞けた!」と思って喜んだのだが、どんな話だったか…鳥頭なので忘れてしまった。

 

まず、屋久島に着いて、川に入りに行った。

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いくら屋久島とはいえ、春。

そんなことは関係なく、ここに全身を浸した。

地球の長老のような屋久島と、都市から来た自分をチューニングする必要があったのだ。川に頭を突っ込んだ瞬間、私の中のギアチェンジが起こった。ヤクシマナイズだ。

 

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脱ぎ捨てた白いスニーカー。

 

夕飯は、エミカさんが作ってくださった、めーちゃくちゃ美味しいカレー。スナップエンドウの心地いい歯ごたえを覚えてる。

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食後のデザートのグァバのシャーベットが、あのね、まるで宝石のように綺麗だったので、写真撮った。見てよ!キラッキラだよね!

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この日から2日目まで泊まったゲストハウス、たくさんの本があって。

ゲストハウスの本棚を一瞥して最初に目に入った本、『ザ・シークレット』。なんだこの運命的な、本との再会は!と思った。

(これについては、詳しくは前記事「ハッピーバレンタイン」を参照)

 

 

 

≪2日目≫

 

AM 6:00 早起きは慣れてるので、ギリギリまで寝ていた。同じく、ギリギリまで寝ていて手間取る同部屋の子達を見つつ、「先行くね」と言い、さっさと集合場所まで行く私。

ほんっと、いやなやつ。後からこの時の私を俯瞰してみて、心底、自分のこと嫌いだと思った。自分自身の愚かさを知るのは、それは数時間後になる。

 

今日は早朝から山に登り屋久杉に会いにいく。

ヒロミに「今日は時計を見ないで」と言われたので、時計を見ないと決め屋久杉を目指す。

 

森にいる全てを愛しつつ、前に進む。

 

屋久杉ってさ、朽ちていきつつも新しい世代を育てているんだって。それは、土を食べた時、実感できた。土というよりパルプだった。

 

宮崎駿作品の『もののけ姫』の世界。

用意周到な私は、もののけ姫のサントラを1ヶ月に渡り体に染み込ませていたので、森に触れるたび、あふれでるメロディー。

 

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(photo by zashipiyo)

 

死ぬまでに一度は見てほしい、この色。

緑というのか、青というのか、なんと形容したらいいかわからないけど、人間を遥かに超える存在を確信させてくれる色。そして静寂。

 

静寂の中で鳴るお腹。時計なんか見なくとも、腹時計はずっと前からお昼の時間と言っていた。

 

ようやく着いた釈迦杉。

 

手渡されたおにぎりの包み。

「ありがとう太陽

ありがとう大地

ありがとう愛する人たち

すべての恵みに心から感謝します

体と心が強くなりますように

いただきます」

と唱えてから食べるのがルール。

ただのおにぎりなんだよ?ほんとにただのおにぎりなんだけど、その美味しさに泣いた。

スマホもほぼ遮断して森とだけ会話してたあの時は、とても感性が研ぎ澄まされていたのだと思う。

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ヒロミが「みんなのこと名前で呼びたい。オレも昔、違う名前で生きてたけど沖縄で会ったおばあちゃんに言われたのね、あなたは何者かになろうとしてるって」と話したところで、

 

みんなにカトウと呼ばれていた舞が、マイに戻った瞬間を見た。

 

そこでわたしも、はたと気づいた。「ざっしーって呼ばれることで何者かになろうとしてた」って。そこで、私もトモカに戻ることにした。

みんなにそれを話している途中で泣いた。

この時の私の涙を覚えているあの子のことは、

たくさん名前で呼んでいきたい。

泣き虫の私は、また泣いてしまった。

 

釈迦杉まで来たら山を降りてゆく。

下山途中で、産まれたての子鹿のように足がプルプル震えてしまったので、サポーターをしてもらった。そして、みんなが私が下山しやすいように隊列の順番を変えてくれたり、適切なタイミングで手を差し伸べてくれたり、励ましてくれた。

 

ああ、そういえば、これまで私は一人でなんでもできると思って生きてきた。でも、一人では生きていけない。こうやって、ずっと誰かに見守られ助けられて生きてきたよね。

今朝の自分の愚かさをここで噛み締めていた。

 

温泉に入り、おいしいおうどんを食べて、ゲストハウスに戻った。寝る棟とは違う棟に灯りが点いてる。通りがけにチラリと覗くと、見覚えのあるお兄さんが、ゲストハウスのオーナーと話しながら、美味しそうなお酒を飲んでいるので、お邪魔した。(そいちゃんと一緒に♪)

 

20歳になったばかりの私。お酒に目がない。

お兄さんが、飲んでいいよと分けてくれた。

「三岳」という屋久島のお酒。

水の美味さと、地酒の美味さは比例する。

酒のつまみは、屋久島産のタンカン。

(タンカンは鹿児島特産のかんきつ類。これほど美味しい🍊はないと思うの)

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お兄さんのことは、その日に登った山の休憩所でもお見かけしたんだけど、まさかお話するとは思ってもいなかったよ。大分県佐伯市で地域おこし協力隊をやっている方だった。

ここでもたくさん質問して、佐伯市の魅力などたくさん喋ってくれたので、誰かの話を引き出すの好きだなーと思った。

 

泣いたらすぐ寝るのが赤ん坊だけど、それと同じようにこの日の私もぐっすり眠れた。

 

 

 

≪3日目≫

 

またこの日もギリギリに起きる。

同部屋の高校1年生の女の子の準備のサポートをして、忘れ物チェックをして、最後に部屋を出た。昨日の私とは違うよ。

 

私たち、ゲストハウスを出発して、今夜は山で寝る。この日の夜が怖くてならなかった。

は?!?!正気か?!

だって、山で寝るんだよ?!?!

 

というか山で寝る前に夜は宴があったから、

宴のための準備もみんなで分担して行った。

 

火起こし、テント張り、調理、野草採り。

私はもちろん、野草採り。

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準備ができたら、みんなで火を囲んで、一緒に楽しく「食べた」。食べるっていう行為は元来こんなにも尊かったのだ。

 

食事が終わったら、さらに燃え盛る火を囲んで、ぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。

 

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ハーブティーを飲み、山に入り眠りにつく。

何を怖がっていたんだろう。

怖くはなかった。

人間が森から搾取しようとさえしなければ、

森は私たちを包むゆりかごとなる。

 

 

 

≪4日目≫

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(4日目の朝ごはん🥣)

 

鹿児島行きのフェリーの時間が来て、ヒロミが「またいつでも還っておいで」と言ってぎゅっとしてくれたことを覚えている。ヒロミだけじゃなく、ひとりひとりとお別れの言葉を交わしていたら出発時刻が来た。よろめきながら、涙でぐしゃぐしゃの顔そのままに駆けた。

そして、鹿児島空港にて、数ヶ月ぶりの生理を確認した。大学の課題に追われて、朝ごはんはいつも抜いて昼ごはんもろくに食べず、夜は遅く朝は早く(2年生の時は毎朝5時半起き)という生活をしていた。そのせいか、体の不調が続き、電車の中で倒れたりということもあった。だから、体からのもっとも素直なメッセージで、屋久島での日々は体の芯まで私を癒してくれたのだと悟った。生理がきただけでこんなに嬉しかったことはない。

東京に戻る飛行機の中で、いつのまにか眠りについた私は、やさしい夢を見ていた。

 

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屋久島の森の中に入って、そこにいる者たちとつながった日から、私の心のなかに、森がある。また人生の節目で、きっと屋久島とわたしのなかの森が共鳴する。つまり、呼ばれる。

 

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就活の軸?揺るがないものは、in my heart

就活の軸は屋久杉、ということで。

いざとなったら屋久島に還る。

それくらいの気持ちで生きていく。

 

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P.S.

実はね

次の一人旅の旅先も決まりましたーー!!!

次は本当にずっと一人だよ😘

to be continued...ってやつです!!!

ハッピーバレンタイン

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去るバレンタインデー!皆さん、チョコは何個もらいましたか?

実は私ね、今年のバレンタインデー、素敵な贈り物をもらいました。

あ、チョコでもないし、花束でもない。

 

コーヒー片手に気軽に読んでください。

 

 

 

ちょっと昔話。

 

「ざっしーは愛のティッシュ配りだよね」

これは、何気ない日常の中で、17歳だった私が友人に言われた一言です。

まるでコピーライターかのような見事な形容でしょう?言葉のセンスが光る友人です。

高校時代、あらゆる人にたいして愛を”配って”いました。「好き!」って伝えたり、ハグしたり、腕を組んだり、姿を見かけたら走って駆け寄ったり、

自分が好きだと思える友達には男女構わず愛情表現を惜しまずしていました。

自分から「好き」と言えば、相手からも「好き」が返ってくることを知っていたし、

信じていたんだ、人のいいところを見つけて、素直に好きと伝え続けることの意味。

 

でも、いつからそれを怖れるようになってしまったんだろう。

いつから、「愛のティッシュ配り」をやめてしまったんだろう。

 

忘れかけていた高校時代の「愛のティッシュ配り」を思い出させてくれたのは、

いつもお世話になっているシゲさんの計らいで、

話題の N高等学校を訪問させていただいた時に出会った女の子でした。

N高について | N高等学校(通信制高校 広域・単位制) 

 

あ、そうそう今日読んだ記事にもN高出てました。

高校生19人に1人は「通信制」 少子化時代に生徒増のわけは? - Yahoo!ニュース

 

ロンダ・バーン著のザ・シークレットという本を読んで、引き寄せの法則に共感したから、授業でアクティビティを通してみんなにも教えたいというのです。

人を積極的に愛する大切さを伝えるアクティビティをやりたい、と必死に交渉していた彼女に、私はかつての自分を重ねて見ていました。私も昔は、こんな風にそれを本気で信じていたなって。

 

彼女の提案が通り、授業の最初の10分間のアイスブレイクとして行うことに。

 

彼女の夢が叶う瞬間が見たくて、何かを思い出したくて。

次週も学校にお邪魔させていただくことになりました。

 

 

 

そして迎えた2月14日。この日のことはずっとずっと忘れないと思うんだ。

 

アクティビティは段階を踏みながらステップアップ。

アイコンタクト、すれ違いでアイコンタクト、背中を合わせる、一緒にダンスをする…

そして、アクティビティが終わった後に意味づけをしていく見事なプレゼン…

 

瞬きするのも忘れかけながら、それを側から見ていた私。

幸せは幸せを引き寄せる

愛は愛を引き寄せる

惜しむことはない!!

愛は配りまくらないと!!!!!!

みたいに感情がフワァァァと湧いてきて。感動してました。

 

なーんか、上手く言葉にできてないけど、まぁいっか。

 

 

思い出させてくれてありがとう。最高の贈り物でした。

 

 

 

 

ところで、コーヒーにも種類があるように、愛にも種類がある。

現代のコーヒー文化は、日々の一杯をさまざまに表現すべく、その語彙を洗練させてきた−カップチーノ、エスプレッソ、フラットホワイト〔ミルク入りのコーヒー〕、アメリカン、マキアート、モカなど。同じように古代ギリシャ人は、愛についての考えを洗練させ、六つに分類した。

(de Rougemont 1983: 5; Davidson 2007: 11 ; Sullivan 2000: 24)

 

私が主に届けていきたいのは、六つの愛のうちの一つ、フィリア(友愛)。

 

愛=ロマンティック・ラブという考えはもうやめないか。

そんなん、薄っぺらいよ。

 

古代のアテネの住人は、私たちの表現の未熟さに驚くのではないだろうか。彼らが語る愛とは、市場が並ぶ広場で賑やかにうわさ話を交わすことから、人生における役割について真剣に考えることまで、私たちの愛という貧弱な言葉をもってしては、理解に苦しむような範囲にまでおよぶのだ。私たちの使う愛という言葉は、コーヒーといえばインスタント・コーヒーしか意味しないようなものである。ギリシャにとってはふつうなことであった愛の六つの形を明らかにし、毎日の会話のなかで使えるようにしていく必要がある。そうすれば、一人ひとりがより好ましいと思える人間関係を築いていくことができるのではないだろうか。

(ローマン・クルツナリック著、横山啓明、加賀山卓郎訳『生活の発見 場所と時代をめぐる驚くべき歴史の旅、株式会社フィルムアート社、2018年)

 

 

安心していい。愛にもいろいろな種類がある。古代ギリシャ人がそう言ってる。

 

関係性が希薄になりがちな、この時代。

私は私なりに、一人ひとり、一つひとつを、

それぞれにぴったりの色で愛していきたい。

 

そして、今、私の心の中にいる、失われかけた自己に呼びかけています。

聞こえていますか?ティッシュ配り、手伝ってください。

ひとりで京都

ざっしー、ブログ始めてみました。

(ざっしーって誰だよって皆さん、自己紹介はしたくなった時にしますね)

 

はい、では、ざっしーと面識のある皆さん、「またなんか始めたよざっしーったら」って感じですね。実は、ブログを始めるっていうのは前々から温めていたことでした。

しかし、きっかけが見当たらず、いつかやろう、と先延ばししてました。

 

そんな私がブログを始めようと決心したきっかけが、先週末に京都府京都市で開催されたTedxYouth@KamoGawaです。

弾丸で行ってまいりました、初関西!初京都!初一人旅!

 

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土曜夜夜行に乗り日曜朝5時半頃着きました。

(いや…まじか…京都なのに一人で行ったんだ…とか思わないで😂)

 

今回の旅のテーマは「ひとり」としてました。

なので、食事は全部一人で、観光地も一人で、なんでもひとりでやることにこだわりました。さささ、下にスクロールして!

 

さっそく一発目。

 

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1.ひとりビュッフェ

ちょっとわかりづらいんだけど、かなりの量をお一人様で黙々と食べていたので、周りにいたお客さんに二度見されまくりました。「この小さい子はこの体のどこにそんなに食べ物を蓄えるのだろう」って思われてたんだろうな。

私いっぱい食べるんだよって言いたかったです。

 

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2.ひとりフォトスポット

京都駅ビルで、ちょうどベルばら描いた人の展示やってて、そこらへんのおばちゃん捕まえて撮ってもらったんです。撮ってもらって非常にありがたいんだけど、あの、手ブレがひどすぎて、これが一番ブレてない写真。頼むよもう…

 

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3.ひとりバードウオッチング

ただひたすら東本願寺のカモを見つめ続ける(特に生産性がない)

 

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4.ひとり銭湯

夜行バスに乗って京都まで来たので、お風呂入りたくて銭湯ないかなーと思って彷徨ってたら、目の前に出現したんですよ!!(銭湯探していてちゃんと銭湯見つかるだなんて幸運でしたね)私の他に客はなく、のーんびりできました。ここの銭湯外装も内装もレトロでかわいいので、皆さんも京都にお越しの際はぜひ!

 

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銭湯でて、ちょっと歩いたところにお風呂の椅子が放置されていたよ。

だめだよ、お風呂の外に持って来ちゃあ〜〜〜

 

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5.ひとり本能寺

信長さんにやっと会えました♡

 

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6.ひとりキルフェボン

とうとう「お連れ様はいついらっしゃいますか?」と聞かれちゃったのです。

いないです。

 

はい、ここまで見ていて「Youは何しに京都へ?」ですよね。ここでやっと今回の旅の本当の目的地へ来ました!

 

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今回のTedxのテーマは、Stay Crazyということで、スピーカーは、京都大学の教授、Facebook Japanの代表取締役の方などクレイジーな方々のオンパレードでした。メモをする手が止まらなく、オンラインではなくわざわざ京都まで足を運んだ甲斐があると感じました。対面でしか伝わらない温度感がありますからね。

 

参加者には、京都大学京都女子大学同志社大学立命館大学など、関東を離れたことのない私でも知っているような大学の学生が集まっていました。たくさんの関西の学生とお話しして、仲良くなれたこと嬉しく思います。

 

さて、一連のセッションの後、私たちはそれぞれ自分自身が明日から何にCrazyになっていくか考える時間を与えられました。

 

私は考えました。自分は何が好きか。自分が何に夢中になれるのか。

 

そして唸りながらも導いた私なりの答えは、

I am crazy about making myself more unique.

 

ここまで書いたところでその場では満足しました。じゃあ具体的にどんな風にuniqueになるかはさておき。

 

みんなでTedxのXのマークを作って記念撮影しました♪

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本当に本当に勇気を出して来てみてよかった、世界が広がった、と大喜びの私でした(笑)

 

このイベントと懇親会の後、夜行バスの出発時間まで3時間ほどありました。

ここでも仲良くなった人に声をかけて京都市内を案内してもらうということはせずに、

「ひとり」でいることにこだわりました。あくまでも自分の主体性を試したかったんです。

 

私が気の向くままに向かったのは、本屋さんでした。なかば無意識のうちに吉野源三郎著で漫画化されて現在流行っている『君たちはどう生きるか』を買っていました。自分でもよくわからない不思議な衝動に動かされることがあるのです、たまに。

 

そのあとは、7.ひとりニシンそばを堪能して、静かに鴨川の河川敷に降りて行き、小一時間ほど佇んでいました。等間隔に座るカップルばかりで嫌になってしまいながらも、ずんずん進んで、でっぷり腰を下ろしました。寒くて寒くて凍えそうな手で、温まった心で、ひとり静かに自分と向き合ってみました。そうしたら、東京に戻って自分はどうしたいのか自然と考え始めていて、どのようにuniqueになるかそのはじめの一歩が浮かびました。

 

私は、ものを書くのが好き。じゃあ、書いて発信してみようか。

最初から自分の思い通りに発信できないかもしれないけど、やってみよう、と。

自分の心に素直になれた瞬間でした。もっともっと自分の心の声聞かないとですけどね。これが、私がブログを始めようと思った理由です。

 

まだまだuniqueであるための方策を模索していきます。

 

はりきって書いていくので、お読みいただけたら嬉しいです。

 

P.S.

一人旅をしたことで気づいたことが2点

1つ目、周りにいる人たちってかけがえのない存在ってこと。一人旅をしていて寂しいと思うことはなかったし、自由で楽しかったんだけど、気持ちや景色を共有したい人たちの顔を自然と思い浮かべてました。この広い広い世界で私と時間を共有する友人になってくれてありがとう。

2つ目、私っていう人間、一人旅するのが、好きなんだと思うんです!!!また、どっか一人で行こっと。