食べたくなかったワカサギ

新型コロナウイルスが日本に東日本大震災の時のような閉塞感をもたらしていると聞いた。

 

わたしは、今、日本から9,000km以上離れたヨーロッパにいる。このブログは、マドリード空港の搭乗ゲート前の左から3番目のベンチで、飛行機の遅延で持て余した1時間ほどのうちに書いている。2月中旬から卒業旅行でヨーロッパに来ていて、自分自身の卒業確定は友人からの連絡で、こちらにいながら知ることになった。そういえば、今年度の授業で、翻訳プログラムという副専攻を履修していた。翻訳プログラムでは、1年間に3つの必修授業を取る必要がある。その中の一つに、異色の授業があった。元朝日新聞記者の方が講師で、日本語での文章の書き方を教えるものである。翻訳プログラムの他の授業では、英語から日本語、日本語か英語の翻訳の理論を学んだり、演習する。しかし、「文章講座Ⅱ」と称したこの授業だけは、英語への翻訳は行わなかった。

 

わたしはこの授業で、東日本大震災が起こった9年前から書きたかった体験を、文章に起こすことに成功した。全部で9回の修正稿を先生に提出している。ここには、最終稿を載せる。

 

放射能の問題というのは、今でも関係する人々にとってはセンシティブな問題であることは認識している。文章の内容、そもそも文章のリリースについて、間違いなく賛否両論あるだろう。しかし、新型コロナウイルス という未知の脅威に踊らされている、当たり前の日常を奪われつつあるという点で、あの時-東日本大震災の時と同じなのだ。だからこそ、わたしがこの9年温めてきた体験と、昨年やっとできた文章をリリースしたいと思う。

 

落ち着いて、行動しよう。

日常は必ず戻ってくるはずだから。

 

以下最終稿↓

 

食べたくなかったワカサギ(最終稿)

 東日本大震災が起きた2011年、私は中学1年生だった。私が住 んでいたのは、震災の影響で爆発した福島第一原発から100km 圏内に位置する村だ。翌年の初夏、村から子どもに、体温計の背丈 が縮まってちょっと太ったような、手のひらに収まるほどの小さい 白い機械が配布された。「え、いつも俺2マイクロシーベルトなの に、今日3マイクロシーベルトなんだけど」。体育館から戻ると、 クラスで2番目に背が高いリョウ君がその機械を見て言った。その 機械は線量計といって、通常は1や2といった数値を表示するが、 3以上を表示する時があるのだ。中央の四角い画面には放射線量を 示す数値が常に示されていた。

 3マイクロシーベルトが表示されたリョウくんは線量計を見つめて いた。「リョウくん茂みの中に入っていったからでしょ」と、リョ ウくんの正面からアヤカちゃんがすかさず指摘し、アヤカちゃんの 隣にいたコウちゃんがゲラゲラ笑う。私は、廊下側にあるロッカー の近くから、リョウくんたちが話すのをじっと見ていた。いつもな ら彼らの輪の中に入るが、その日はそんなに明るい気持ちにはなれ なかった。茂みに入っていないのに、私の線量計も3マイクロシー ベルトあったから。

 私は、日課にしていた新聞チェックで〈福島県内の各市町村の放射 線量〉の面を左上から右下まで確認するようになった。新聞に載る 各市町村の線量は、観測地点で計ったものだけだ。メディアには出 ないが、局所的に放射線量が高い場所が存在し、そういう場所をホ ットスポットという。当時、村一番のホットスポットだと言われて いたのが村にあった湖だった。私が住んでいたのは、 その湖の北岸のエリアで、冬になるとワカサギ釣りで賑わう。

 あの日は、その年で初めてワカサギの天ぷらが並んだ。家庭の事情 で、私と妹は父の実家で伯父夫婦と暮らしていた。うちでは、 伯母の元気な掛け声が、晩御飯の合図。すぐとんで行って、 箸と皿の準備をする。そのうちにみんな揃って、食べ始める。

 「なあ(ねえ)、今年は、まだ凍んねんだと(凍ってないんだって )」伯母がいう。近年、温暖化の影響なのか、冬になってもなかな か湖面が凍らないのだ。「へぇー、確かに、バスから見ててもまだ 全然凍ってないと思った」ご飯に集中している妹の代わりに、 私が答える。伯父は、黙って淡々とワカサギを頬張っている。目の 前に置かれた大きな皿から、天ぷらになった数百のワカサギの、小 さな小さな目が私を見ていた。「トモカも食え(食べなさい)。早 く食わねと(食べないと)冷めちまぞ(冷めちゃうよ)」と、伯母 はワカサギの天ぷらが乗った大きな皿を近づけてくる。伯母はおお らかな人で、他の家庭の倍の量を調理して、熱心に勧めてくるよう な人だ。いつもなら、しぶしぶ受け取るかのようなそぶりを見せた りして、よろこんで皿を受け取る。

 しかし、この日は違った。ワカサギの天ぷらは、揚げたてが一番美 味しいことはわかっていた。衣はカリッとしていて、身は淡白。私 が一番好きなのは内臓の苦味だ。あとから知ったことだが、内臓は 放射能が溜まりやすいから除去したほうがいいという見解もある。 私がワカサギの天ぷらに箸をつけないのは、考えがあったからだ。

「やだ。私は食べない」ときっぱり言うと、「え?」と伯母は悲し みと怒りの混ざったような表情を浮かべた。「ワカサギは放射能が 高いって、新聞で読んだ」と私は言い切った。新聞にあるベクレル やマイクロシーベルトという単位の意味はわからないが、 自分の身は自分で守りたいと思っていた。

 「ほだごとねえべ(そんなことないよ)」目の色を変える伯母。む きになっていた。「いいの。食べないって言ってるじゃん。ママと ジーはいいかもしれないけど!」私より先が長くないだろうから、 汚染された食べ物を食べてもいいという意味だ。「大丈夫って、国 で発表してるべした」伯母が言い返してきた。伯父は、潤んだ目で 何か言いたげにしている。

 「ごちそうさま。美味しかった」箸をパッと置いて、食卓のある台 所を飛び出した。でも、これ以上、何を言われても、ちょっとだっ てかじるつもりがない。普段は寝る時にしか使わない自室へ、 階段を駆け上がった。冬の冷え込んだ部屋の中で、目に見えない毒 のことを考えて怖くなった。ワカサギの内臓の苦味がギギギと舌に 蘇ってきた。
 あれから、ワカサギが食卓に並ぶことはなくなった。それどころか 、水道水の代わりに、ミネラルウォーターを飲むように言われた。 そして2019年現在、海水魚に比べて、淡水魚であるワカサギは セシウム濃度が下げ止まりであるという。苦々しいものは、 いつになったら消えてくれるのだろうか。あるいは、 消えないのだろうか。

 線量計をつけさせられ、放射能汚染を日々意識しなければならなか ったこと、ワカサギを食べることが難しくなってしまったことを通 して、日常の行動を管理され、 抑制されることのつらさを思い知った。そういう管理と抑制をされ た日々の、やるせない思いは今も忘れることができない。