ハッピーバレンタイン
去るバレンタインデー!皆さん、チョコは何個もらいましたか?
実は私ね、今年のバレンタインデー、素敵な贈り物をもらいました。
あ、チョコでもないし、花束でもない。
コーヒー片手に気軽に読んでください。
ちょっと昔話。
「ざっしーは愛のティッシュ配りだよね」
これは、何気ない日常の中で、17歳だった私が友人に言われた一言です。
まるでコピーライターかのような見事な形容でしょう?言葉のセンスが光る友人です。
高校時代、あらゆる人にたいして愛を”配って”いました。「好き!」って伝えたり、ハグしたり、腕を組んだり、姿を見かけたら走って駆け寄ったり、
自分が好きだと思える友達には男女構わず愛情表現を惜しまずしていました。
自分から「好き」と言えば、相手からも「好き」が返ってくることを知っていたし、
信じていたんだ、人のいいところを見つけて、素直に好きと伝え続けることの意味。
でも、いつからそれを怖れるようになってしまったんだろう。
いつから、「愛のティッシュ配り」をやめてしまったんだろう。
忘れかけていた高校時代の「愛のティッシュ配り」を思い出させてくれたのは、
いつもお世話になっているシゲさんの計らいで、
話題の N高等学校を訪問させていただいた時に出会った女の子でした。
あ、そうそう今日読んだ記事にもN高出てました。
高校生19人に1人は「通信制」 少子化時代に生徒増のわけは? - Yahoo!ニュース
ロンダ・バーン著のザ・シークレットという本を読んで、引き寄せの法則に共感したから、授業でアクティビティを通してみんなにも教えたいというのです。
人を積極的に愛する大切さを伝えるアクティビティをやりたい、と必死に交渉していた彼女に、私はかつての自分を重ねて見ていました。私も昔は、こんな風にそれを本気で信じていたなって。
彼女の提案が通り、授業の最初の10分間のアイスブレイクとして行うことに。
彼女の夢が叶う瞬間が見たくて、何かを思い出したくて。
次週も学校にお邪魔させていただくことになりました。
そして迎えた2月14日。この日のことはずっとずっと忘れないと思うんだ。
アクティビティは段階を踏みながらステップアップ。
アイコンタクト、すれ違いでアイコンタクト、背中を合わせる、一緒にダンスをする…
そして、アクティビティが終わった後に意味づけをしていく見事なプレゼン…
瞬きするのも忘れかけながら、それを側から見ていた私。
幸せは幸せを引き寄せる
愛は愛を引き寄せる
惜しむことはない!!
愛は配りまくらないと!!!!!!
みたいに感情がフワァァァと湧いてきて。感動してました。
なーんか、上手く言葉にできてないけど、まぁいっか。
思い出させてくれてありがとう。最高の贈り物でした。
ところで、コーヒーにも種類があるように、愛にも種類がある。
現代のコーヒー文化は、日々の一杯をさまざまに表現すべく、その語彙を洗練させてきた−カップチーノ、エスプレッソ、フラットホワイト〔ミルク入りのコーヒー〕、アメリカン、マキアート、モカなど。同じように古代ギリシャ人は、愛についての考えを洗練させ、六つに分類した。
(de Rougemont 1983: 5; Davidson 2007: 11 ; Sullivan 2000: 24)
私が主に届けていきたいのは、六つの愛のうちの一つ、フィリア(友愛)。
愛=ロマンティック・ラブという考えはもうやめないか。
そんなん、薄っぺらいよ。
古代のアテネの住人は、私たちの表現の未熟さに驚くのではないだろうか。彼らが語る愛とは、市場が並ぶ広場で賑やかにうわさ話を交わすことから、人生における役割について真剣に考えることまで、私たちの愛という貧弱な言葉をもってしては、理解に苦しむような範囲にまでおよぶのだ。私たちの使う愛という言葉は、コーヒーといえばインスタント・コーヒーしか意味しないようなものである。ギリシャにとってはふつうなことであった愛の六つの形を明らかにし、毎日の会話のなかで使えるようにしていく必要がある。そうすれば、一人ひとりがより好ましいと思える人間関係を築いていくことができるのではないだろうか。
(ローマン・クルツナリック著、横山啓明、加賀山卓郎訳『生活の発見 場所と時代をめぐる驚くべき歴史の旅、株式会社フィルムアート社、2018年)
安心していい。愛にもいろいろな種類がある。古代ギリシャ人がそう言ってる。
関係性が希薄になりがちな、この時代。
私は私なりに、一人ひとり、一つひとつを、
それぞれにぴったりの色で愛していきたい。
そして、今、私の心の中にいる、失われかけた自己に呼びかけています。
聞こえていますか?ティッシュ配り、手伝ってください。